1951(昭26)年:既に津市では明年中にモーターボート競走を実施するという予定が組まれ
全国のトップを切って第一号施行者になろうという意気込みで着々と準備が進められていた
同年6月18日:モーターボート競走法制定公布
同年8月10日:社団法人長崎県モーターボート競走会設立認可
同年9月9日:社団法人滋賀県モーターボート競走会設立認可
同年9月19日:社団法人三重県モーターボート競走会設立認可
競走法が交付され全国で3番目に三重県が認可されたというスピード申請である
場所は三重県津市中心部を流れる二級河川:岩田川の河口一角
モーターボート競走の施行にあたって、市役所としてはこれを公企業とし
独立会計予算を組んで本予算と経理を別途にすることにした
しかし戦災で全市の70%が焼野原と化した津市の財政は当時非常に窮迫していたので
一時といえども本会計からの資金の融通は困難な状態であり
競艇場建設費の1,200万円は建設業者への後払い、しかも月賦償還というかたちで建設された施設となった
1952(昭27)年7月4日:津競艇は全国公認第1号として岩田川河口にしぶきをあげた
(大村競艇<同年4月6日開催>はテストレースとの位置づけで考えられていた)
初開催初日の売上:4,055,200円
2日目:4,256,100円
3日目:7,545,600円
まずまずのすべり出しで、疑心と不安とは払拭された
競走水域の水深は当時は1m半の規格であったが
干潮時はボートのスクリューが底につかえる所があり
潮の満干表を見ながら開催日を決めたりもした
1963(昭38)年:施設改善調査会が行った競艇場施設の改善勧告により
河川を利用して設置された競艇場の多くは、この勧告を受け
より公正安全な競走が実施可能な場所へ移転せざる得なくなり
1968(昭43)年:岩田川河口から現在の場所に移る
三重県津市大字津興港中道北官
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